古代米からできた清酒  久米舞

血液の流れを良くする
ポリフェノールが多く含まれる古代米(赤米)を使用

アルコール分:
15.0度以上16.0未満
原材料名:米・米麹
■久米のはなし

「久米」の名は、古代の有力氏族の名として日本最古の書物「古事記」や「日本書紀」に登場しています。全国各地に残されている「久米」の地名は、この氏族と大きな関わりがあるとも言われています。近年、松山市の久米地域でも、「久米評」と書かれた線刻須恵器(土器)や古代役所跡・古代寺院跡(久米官衙遺跡群)がみつかり、かつてこの地に天皇を迎える仮宮(石湯仮宮)などの「日本書紀」に登場する施設が、久米氏によって造営されていたものと注目されています。

■古代米のはなし

現在のお米は白米が主流ですが、かつての日本のお米は赤米であったと言われています。今もなおアジア各地では、この赤米のほかに黒米や紫米が栽培されています。日本でも対馬や種子島などで、神様への供物として作られています。これらのお米には原始的な遺伝子が多く残されていることなどから、一般的に「古代米」と呼ばれています。最近では、このお米のそのままの色を活かした和菓子やお酒作りが注目されています。


久米氏は、古代軍事氏族の一つと考えられています。かれらは皇室に匹敵する畿内の大豪族であった大伴氏と同一氏族と言われ、軍事的職務に従事しますが、その出自はいまだ不明なところの多い氏族です。

伊豫の久米郡を本拠とする久米氏の繁栄を物語る宮中儀礼として、久米舞が残されています。久米舞は、戦勝の歌に舞を付け八人あるいは二十人で舞われます。神秘的な和琴の調べに太刀を抜き敵を討つ振りは、王者の威厳を示すものとして儀式化されたものと言われています。しかしながら、その栄華の時期は短く、今に残る久米舞は、大伴・佐伯両氏によって受け継がれてきたもの言われています。

薄紅色の清酒「久米舞」は、古代久米氏が七世紀に営んだ「久米官衙遺跡群・来住廃寺跡」が残されるこの地の蔵元にて、地元の子供達とともに大切に育てた古代米(赤米)を用い、かの良泉として名高い「久米能井」により仕上げたこだわりの酒です。

私たち久米まちづくり有限会社は、温故知新を合い言葉に、ふるさとを愛し、故郷を知り、ふるさとの良き心を共に育む、新たな挑戦として、文化財と共存するまちづくりを目指しています。

                              久米まちづくり有限会社

製造・販売元:
後藤酒造株式会社
愛媛県松山市南久米町255-1

■久米舞

いにしえより天皇の御前で舞われし、久米の強者どもの舞い『久米舞』。
古代伊豫の久米の地に幾多の物語が語られしとき、末額の冠をかぶり、緋色の袍に笏と太刀をまとい、かろやかに舞う若武者の澄みきった舞い姿が空を切る。
静寂のしずけさの中に響く和琴の調べ、『久米歌』の気高く荘厳な響きが王者の威厳を醸し出す。


平成13年6月4日
久米小5年生が田植え


平成14年2月18日
久米小5年生が体験学習


平成14年3月15日
久米舞の販売開始


平成14年3月15日
後藤酒造・三好社長より
松山市の中村市長に報告

地元小学生が古代米栽培に挑戦する様子は、愛媛新聞でも紹介されました。

松山市南久米町、久米小学校(増井秀憲校長)の5年生138人が28日、手作りの石包丁で古代米の収穫に挑戦した。
 久米官衙(かんが)遺跡群など貴重な文化財をもつ地域の魅力を子供たちに伝え、文化財保護意識を育てようと、松山市教委と久米地区まちづくり推進委員会、学校が合同で企画、授業に取り組んだ。
 児童らは6月、農家から借り受けた水田2アールに赤米を田植え。市教委文化財課職員の指導で、石を研いで稲刈り用の包丁を製作、収穫に臨んだ。
 見事に穂が垂れた水田で、児童らは奮闘。まちづくり推進委員会メンバー手作りの貫頭衣を身につけた上田奈奈さん(11)は「切る角度が難しい。 昔の人は大変だったんですね」と地域で暮らした古代人に思いをはせていた。
 収穫した米はそれぞれの家庭に持ち帰るほか、学校祭でパットライスなどに利用。残りは地元酒造メーカーが日本酒にする。
(平成13年9月29日の掲載文より)